無限にして有限なもの(大極)が有限化して、
一つの形態を取ったものが人間だという。
個々の人間存在の背後に、儒教でいう大極、
キリスト教でいう神を見ているのだ。
通俗的な儒教から大きく隔てたものを求め、
自己を研磨し、限りなく天に近づこうとすることは、
有限化された自分をその大本である無限(大極・神)に
限りなく一致させることだ。
こう意識し精進するとき、
人間はもはや肉体に限定された小さな存在ではなく、
無限の可能性を秘めた神のような存在となる。
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2008年03月08日
大極
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